常からの無礼千万な罵詈雑言をぶつける自分には怒りもしないが、彼はたまにぞっとするような気配を醸すことがある。主の心のざわめきを敏感に感じ取ったシュゼットは背筋を震わせた。
「あの、ノルベルト様。その”繋がり”というのが、いまいち理解できないのですが……」
「向こうの世界と我々のいるこの世界、いや……いくつもの世界が同じ空間に、それぞれ存在するというのは知ってるね」
シュゼットが曖昧に頷く。
「今でこそ、殆どの地域では言い伝えになってしまっているけど、昔はそれらの世界を行き来することができたらしい。空間移動の魔術が失われるその時まではね。空間移動、つまり二つの世界を繋ぐ道を作り出すといったら、わかりやすいかな。その道を人が行き来できる状態にできればいいんだ」
説明を受けて尚、すっきりしない顔のシュゼットを見てノルベルトは苦笑した。理論の上ではいくら納得できても、釈然としないのだろう。しきりに首を捻る従者の隣でノルベルトは階下へと注意を向けた。金髪の少年と話をしていた男は既に、その周囲から姿を消していた。
「シュゼット、そろそろいいみたいだ」
「ああ、はい。行って参ります。では、ノルベルト様は応接室にてお待ち下さい」
シュゼットは階段を降りたところで、先ほど少年と話していた男の顔を横目に確認した。
やはり、彼と一緒に捕えた男ではない。容姿はもちろん、雰囲気もずいぶん違っていて、こちらは柔和な印象だ。さりげなく視線をやったつもりだったが、あやうく目が合いかけて、慌てて周囲を見回すふりをした。
室内は人で溢れている。
故意に流した情報は存外に広まっているようだ。
人の間を縫うようにして、目的の人物の元まで辿りつく。
「考えてみれば、あなたはじっと待っているような方ではありませんでしたね……すぐに迎えに上がると申し上げたはずなのに。リオン王子殿下」
声を掛けるまで、彼はシュゼットの存在に気づかなかったようだった。振り返った空色の眸が訝しげに細められ、そして驚愕に見開かれる。
「お前……!?」
「覚えていてくださったようで、光栄です」
「ハンス=シュワイガー……今回の件は、お前が絡んでいたというわけか。何を企んでる?」
彼は、ノルベルトとはまた違った凄みを感じさせる。かつてはその気迫に萎縮してしまったが、今は状況が違う。冷静に考えて、窮地にあるのはリオンの方なのだ。
シュゼットは努めて平静を装った。
「貴方にお引き合わせしたい方がいます」
「一年前、オレがお前に言ったことは覚えてるか?」
「ええ、覚えています。ですが、あなたは私の上司でもなければ主でもありません。私は私の主の命に従います。どうぞ、こちらへ」
リオンは当惑を振り切って、踵を返した偽役者の後に続いた。
肩幅が広く、引き締まった体つき。まるで日頃から鍛錬を重ねた兵士を彷彿させる男と、リオンは以前にも会っている。
男はハンス=シュワイガーという名で、かつてリオンに謀反の話を持ちかけてきた。当時は、てっきり彼のことを継承者争いにおける残党の一人だと思い込んでいた。だが、彼がこの度の誘拐の件に関係しているとしたら、リオンの読みは外れていたことになる。
彼がリオンに引き合わせようとしているのは、彼の主とやらであろうと推察できる。罠だとわかっていても、敵地のど真ん中で下手に抵抗すべきではない。しばらく様子を見て隙ができるのを待つ方が利口だとすばやく判断して、リオンは相手の意に従った。
正体を知られている以上、危険ではあるが、彼らが今回の件の首謀者であるなら、ほぼ確実に相手側の意図を掴むことができるとも思った。
広間を出て、ハンスが左手奥の壁にある扉を数回叩いた。
中から返事があって、扉を開ける。
リオンを出迎えたのは、壮年の男だった。
涼しげな目元は理知的で、形ばかり微笑ませている。
「ご苦労様、シュゼット」
ねぎらいの言葉がハンス=シュワイガーにかけられたものだと思い至るのに、数瞬を要した。
リオンのそんな心中を察して、言葉を発した本人が重ねて言う。
「ハンス=シュワイガーは僕が彼に与えた役者としての名で、本名はシュゼットと言います」
「それで、お宅がそのシュゼットの主ってわけか」
「申し遅れました。カナルディアの国防長官――ノルベルトと申します」
ノルベルトはリオンに椅子を勧めてから、自らも腰を下ろした。
リオンは扉付近で足を止めたまま動かない。
「あなたをお招きしたのは、他でもありません。シュゼットから話を聞き、改めて僕自身が話してみたいと思ったからです」
「招き方が友好的手段とは思えなかったけどな。回りくどいことはもういいから、さっさと本題に入れよ」
「一年前、シュゼットに預けた伝言のとおりです」
「答えは既に出した筈だ。それに、お前達はカナルディアの人間だろう。他国のことに干渉するというのはどういう了見だ」
とてもじゃないが理解し難い話だ。
リオンに取り入って王に仕立て上げようと目論んでいたのは、当たり前のことだが、全てゼベリアの貴族だった。殆どの者が出世を狙ってのことであったが、その狙いは国の人間だからこそ望めるものであって、他国の人間が関与したところで何の利益もない。
「そうですね。ですが、何も我々はあなたにゼベリアの王となって頂きたいわけではありません」
「は?」
「リオン王子。あなたのことだから、薄々感づいているのではありませんか? 近々、我が国はゼベリアに侵攻するつもりです」
リオンは途端に目を据わらせた。
「いや、ゼベリアだけではない。最終的には、大陸全土の支配。そのため戦闘人員に兵糧など、準備は着々と整いつつあります。そしてまだあとひとつ、足りないものがある。何のことかわかりますか?」
一年前のシュゼットの言葉が蘇る。
「………指導者」
「聞いていたとおりだ、察しがいい」
ノルベルトは、にこやかに手を叩く。
リオンはことさらに語調を強くした。
「オレにお前たちの指導者になれだと? ふざけるな」
「あなたにはどうも無条件に人の心を惹きつけてしまう力がある。人を纏める際に不可欠な能力と言ってもいい」
正直なところ相手の頭を疑う。仮に、リオンがそれを承諾したところで、いつ裏切るか知れない余所者が兵の忠誠を得られるとは思えなかった。信頼なんてそうそう築けるものではない。
「オレが言いたいのはそういうことじゃない。どちらにしろ一年前、シュゼットにオレの意思は伝えたはずだ。忘れたというのならもう一度、同じことを言ってやろうか?」
「お言葉ですが、リオン王子。あなたの祖国はゼベリアではないはず」
「なに?」
「あなたはゼベリアの正統な血族ではない。それは後継者問題が起きた折、ご自身で明かされたことだとか」
いくらノルベルトが他国の人間とはいえ、知っていたとしておかしくはない。それでも、まさかこの場でその話を持ち出されるとは思ってもみなかった。
「だから何だってんだ。王の血を引いていないにしても、オレがゼベリアの民であることに変わりない」
「本当に何も知らないんですね」
ノルベルトは嘲るように言う。
「それじゃあ聞くけど。お前は、オレの何を知ってるって」
「はっきり申し上げましょう。あなたはカナルディアの人間だ」
「…………」
「やはり、そこまではご存知でなかったのですね」
動揺を誘うための言だと悟る。牽制の意味も含めて、リオンはノルベルトを真っ向から睨みつけた。
「オレがそんなことを信じると思うのか?」
「もちろん信じたくなければ信じなくても結構です。ただ、当事者として、説明する責任はあるのではないかと思ったのでね。なにせあなたと、あなたの母親をゼベリアに送り込んだのはこの僕ですから」
ノルベルトは組んだ指の影で微笑んだ。
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