朝っぱらから中庭を疾走する少女の姿を目に留めて、ジルドはぎょっとした。
ジルドの存在に気づいた少女は突如、方向転換した。彼女は挨拶もそこそこに用件を切り出してくる。
「おはよう、ジルド。殿下がどこにいらっしゃるかご存じない?」
「いいえ」
謝らなきゃ。感情に任せて、ひどいことを言った。
城内は広すぎて、全て見て回ったわけではないが、リオンが行くところは限られている。そのことを、幼い頃から彼をよく知るミシェルは承知していた。思い当たる場所はひとつしかない。
「また街に出られたのかしら」
「何か急ぎの用件でも?」
「いえ、そういうわけではないのだけど。ねえ、ジルド」
きちんと謝罪するまでは何だか落ち着かない。そわそわする気分を少しでも紛らわせたくて、無意識に彼女はジルドを引き止めた。
「殿下は今の……城での暮らしが嫌いなのかしら」
「何故です?」
「わからないから聞いてるんじゃない」
「そうじゃなくて、どうしてミシェルさんがそう思うのかってことを聞いてるんですよ」
「だって、殿下は暇があれば街に出るわ。食事にしてもそうよ。庶民と同じものを食べて、同じものを飲んで。お毒味もなしで、平気で何でも口にする」
拾い食いとかもしてるんですか、なんて冗談を言ったら、睨まれてついでに殴られた。
「肝心のリオン様はああだし……わからないわ。確かに庶民の生活は自由よ。だけど、それとは引き換えに大変なことだってある。それは当然、城での生活にも同じことが言えるけど」
それはただ単に憧れというものなのだろうか。
街には、それ程までに心を魅了する何かがあるというのだろうか。
「うーん……じゃ見に行きましょうか」
「へ?」
「ここでうだうだ言ってもそれこそ机上の空論ですよ。わからないなら実際に自分の目で見て判断したらいいじゃないですか」
言いたいこと言ってさっさと歩き出したジルドは彼女がついてこないことに気がついて、振り返った。
「来ないんですか?」
「どうして、私があなたと出かけなきゃ行けないの」
ミシェルはむくれた。いつも見ている――つまり父と会話するジルドは子どもみたいなのに、なんだか今はしゃきしゃきしていて、ミシェルの目には妹に接する兄のように映っていた。
「だって俺、殿下の行きつけの店とか知ってますもん。相手を知るのに最も有力な方法はその人と接することだと思いますけど、他人から見たその人を知るのもひとつの手だと思いますよ。俺今日は非番だから、暇だし案内します」
ジルドはにやりと笑う。
それはミシェルにとって、人の良い笑みにも悪い笑みにも見えた。
「昨日測ったサイズを元に調整してみたんだけれど、どうかしら?」
胴を締め付ける姿勢固定器具にひらひらとした縁飾りにリボン。踵は痛いし、動きにくいし、呼吸するのも困難だ。
「うへぇ、きっつう。皆よくこんなの着てられるなあ。こんな状態でにっこり笑えるお嬢さん方って本気でソンケーするよ」
「お洒落と我慢は隣り合わせなものなのよ。よし、これで終わり……っと」
ドレスの裾を捲って、糸のほつれを歯で噛みちぎり、彼女は満面の笑みを見せた。
「かんっぺき! どーですか、団長? とびきりの自信作ですよ」
「上出来上出来。思ったとおりとってもべっぴんさんだよ」
頭の先から足の先まで眺め倒したルーファスは感慨深げに頷いた。
「ああ、うん。そうだな」
リオンが溜息混じりに相槌を打つと、舌打ちが聞こえた。鏡越しに、不満気に眉をひそめた男の顔が見える。
「嫌がってくれないと面白くないそうよ。彼は」
「それがわかっててまんまとのってやる程、オレは優しくないんだ。勿論、男に限定した話だけど」
というか、寧ろ難儀なのはこの身体をぎゅうぎゅう締め付ける痛みの方だ。
「まあ、頑張ってくれたまえ」
息苦しさにげんなりするリオンを認めて、今度こそルーファスは歪んだ微笑みを浮かべた。ディックとダンが目も合わさずに頷きあう。
「楽しそうだな、団長」
「うん」
「こういう時は傍観するのが一番というわけか」
苦笑交じりに割り込んだ声の主こそ劇団の人気役者であり、この度の演目で主役を務める男、ハンス=シュワイガーその人であった。涼しげな目元にがっしりとした、だけど締まった体つき。一見すると、役者というよりは、城の兵士という方が似合うというのがリオンの第一印象だった。しかし、戸口に立つ彼は重々しい鎧などではなくこれまた豪奢な貴族の衣装を纏っている。
「ほぅ、これはなかなか……」
「お褒めに預かりコウエイです」
「う〜ん、もうちょっと声高くできない?」
ルーファスが眉根を寄せた。
「変声期過ぎてる男にムリな注文だとか思わない?」
「ま、いいや。とにかくいっかい合わせてみようか」
このいい加減さがチケットが売れない理由に関係しているのではないかと、リオンはまたひとつどうでもいいことを思いついたのだった。
ペスト家とスヴェンナ家。
この2つの名家は先祖代々仲が良かったが、彼らの場合そうではなかった。ロミとジュリー。
相手を陥れ陥れられ、互いに互いを牽制しあう日々。
しかし、ある日、ロミが仕掛けた罠に嵌ったジュリーは命を落としてしまうこととなる。その時、彼女と張り合ってばかりだった自分の本心に気づいたロミは彼女の後を追って、己の胸に短剣を突きつけるのだった。
本番前の練習がとりおこなわれている舞台では丁度、物語は佳境を迎えていた。
ロミがジュリーの亡骸を腕に抱き、嘆きの声を上げる。
彼の心をそのまま写したかのような、悲壮な演奏が流れ始める。
その音に完全に紛らせて、リオンは問いかけた。
「さて、話してもらおうか」
ハンスの表情は大仰な動きを見せた。
「……さて、何のことかな」
「こんな回りくどいことしてまで、何の用があったのか聞いてるんだよ。まさかオレに女装させて恥かかせるのが目的じゃないだろ」
「成程、勘もいい」
ハンスはそうだと周囲に気づかせないほど、小さく嗤い、すぐに真剣な顔つきになった。客席からは、彼が悲嘆に暮れる振りをしているようにしか見えない。
「まずは数々の非礼をお許しください、王子殿下。こうでもしなければ貴殿の元から影を突き放すことができなかったので」
「堅苦しい挨拶は抜きだ。時間そんなにないんだろ」
ハンスは静かに頭を垂れた。
愛する者の死を悼む演技をしているのかもしれない。
「私はある方の命により、伝言を仕って参りました。その方の名はまだ申せませんが、貴殿の返答次第により、その方の元へお連れする所存でございます」
「それで、その用件っていうのは?」
普通なら名も名乗らぬ者など信用するものではないが、肝心の内容を聞かずに相手の申し出を蹴ってしまっては何の為にこんな苦しい思いまでして女装したのか。
「その秀でた力を治世に生かさぬか、と。あなたはそれだけの素質をお持ちだ」
「勘弁してくれよ」
リオンの口元だけが笑みを形作る。
「オレは自らそれを拒んだんだぜ?」
「貴殿が納得しても、そうでない者もおります故」
「だったら帰って主に伝えるんだな。オレにその意志はないと。それから、お前達がしているその行為は国にたてつく反逆行為。今後、陛下を……我国を脅かすようなことがあるならその時は、その命ないものと思え」
彼の声音にいつもの明るい響きはなく、冷たく硬い。
ハンスは瞬時に背筋が凍りついたような錯覚を覚えた。今すぐ逃げ出したい思いに駆られたが、矜持がそれを許さない。かろうじて出た声は震えないようにするので精一杯だった。
「心得ました」
「しかし、よくもまあここまで大掛かりなことしたよな。劇団なんてわざわざ作ったわけ?」
間者の目を欺くためとはいえ、もっと手軽な方法があったのではないか。
「いいえ、この劇団の人間は私共とは、ほぼ無関係。貴殿が何者であるかということすら知る者もただ1人を除いておりません」
「それがあの団長ってわけね。関係ない人間まで巻き込むな」
舞台を彩る演奏も、もうすぐ終焉を迎える。
舞台袖で、彼らのやりとりを眺めていたルーファスはつまらなさそうに目を細めて、団員の1人を手で招き、書状を預けた。疑問符と共に視線が寄せられて、彼は小さく命じた。走り去る団員を見送りもせず、ルーファスは再び舞台に向き直った。
「物語が面白くないと思ったら、自分がちょっと動かなきゃあねえ」
たとえ、事態が暗転するにしても、全く味気ないものよりはずっといい。
「よ、ジルド。なんだ? 今日は、そちらの可愛らしいお嬢さんはお前さんの妹か何かかい?」
「ちょっと何で妹なんですか。普通はそこで彼女ーとかって冷やかしのひとつでも入れるもんなんじゃないんですかぁ?」
「おっとこりゃ失礼。言われてみればお前と彼女、全然似てねぇやな」
背後の丸テーブルを囲む連中の方へ身体を捻るジルドの隣でミシェルはカウンターにへばりついていた。笑い交じりの会話を上の空で聞いていたミシェルの前に脇から腕が伸びてきて、飲み物が置かれた。
「ごめんねぇ、あなたお城の人でしょ? お上品なお城とは違ってここはこういう場所だから」
「いえ、気にしてませんから」
銀のトレイを胸に押し当てて、女はけらけら笑った。
「そう言えば、あなたリオン王子の、ええと何だったかしら。乳兄弟なのですってね。お嬢ちゃん」
「そうですけど、それが何か?」
ミシェルはあからさまにムッとした。
女はさして驚いたふうでもないのに、わざとらしく切れ長の瞳を何度も瞬いた。
「あらあら……私なにか嫌われることしたかしら」
「エイダはいちいち挑発的なんだよ、無意識なんだろうけど。同姓相手にはあんまり受け入れられるもんじゃないんだよね」
「あらぁ、それは咎められてもどうしようもないことではなくて?」
当人にとっては大したことでもないらしく、軽く言ってカウンターの奥に戻る彼女からミシェルの方へジルドは向き直った。
「何の遠慮もないところでしょう? ミシェルさんにとっては居心地悪いかな。あ、ミルクどうします?」
そう問いかけながらジルドは、ミルクポットを差し出してみせた。返事代わりにミシェルが伸ばした手を避けて、彼女の前に置かれたカップに適当な量を注ぎ込んでやる。ミシェルは紅茶をスプーンでぐるぐると掻き回しながら、渦を巻く様を見つめていた。
「あれでもね。彼女嫌味とかじゃないから、怒らないであげて」
「別に怒ってなんかいません!」
つんとそっぽを向くミシェルに、ジルドは苦笑した。
見栄っ張りなのか、素直なのか、何なのか。表情には思いきり不愉快の文字を浮かばせているのに、言葉はその逆を示している。
乙女心は複雑だ。
「そんなことより、ジルド。さっきここが殿下の行きつけの場所と言いましたよね?」
「そうです。ほぼ毎日来られてるとか。ですよね?」
ジルドの言葉にマスターが頷く。ミシェルはざっと店内を見回した。
「それで殿下は?」
「え、ええ……と、さあ、どちらに行かれたのでしょう。ねえ?」
思いがけない質問に慌てたジルドは、思わずマスターに話を振ってしまった。幸いなことに、マスターは落ち着いた様子で答えを出してくれた。
「お忙しい方ですからねぇ。あちこち街を奔走されて、それでも毎日私どもの顔を見に来てくださるんですよ」
ミシェルは耳を疑った。
お忙しい?
公務ほっぽって、街に遊びに出るような人のどこがどう多忙というのか。
ああ、そうか。そうだわ。仮にもあの方は王子殿下なんですものね。この人は思っていることを口にしているわけではないのだわ。
「お嬢さんは殿下を探しに来られたんだね」
彼女の怪訝な眼差しの裏に潜む思いを感じ取ったのか、マスターが訊ねてきた。
「今日は他の地区に行かれているのかもしれないよ。大抵順番に回ってくださるんだけども、何かあったのかもしれないなあ」
「? 他の地区?」
「あれ、知りませんでしたっけ?」
ジルドはカップを皿に戻しながら、意外そうな声を上げた。
「殿下って外回りもされてるんですよ」
外回りというのは、地域資源の実態調査のことで、主に公的機関がその対象となる。取り仕切るのは国費担当と呼ばれるもので、数名の調査員が所属しているが、父の話では人手が不足しており、人員補給要求の届出が出されているらしい。
(そっか……殿下ってそんなことまで。でも……)
確かに日々それだけの業務をこなしているとすれば、自室にいる時間は殆どないのも当たり前だ。だが、
「……少なくとも、ここに来てるのは私情ですよね、完全に」
「んーまあ、その辺は昼休ということで」
頬杖からのぞく表情は、少し困ったような笑顔。
「お国って、そういうトコお堅いのよね。まああたしらの税金でおまんま食ってる方々にはそんくらいでないとっていうのもあるんだけどさ。カッチリし過ぎるのもどうなんだろうねぇ」
エイダが溜息がちに言い、
「恨まれやすい立場の人間ってのも苦労するねえ。おれぁ今のままでじゅーぶん。飲んで食ってこうやって気楽に談話できるのが幸せだよな!」
ジョッキを片手に持ち上げた客が、歌うように声をあげ、
「よくゆーぜ、こないだの配達の時、一度でいいからあーいうの味わってみたいもんだ、とかなんとか言ってたくせに」
その前に座っていた男が豪快に笑う。
ミシェルはそっとジルドの袖を引き、小さく囁く。
「ちょっと、ねえ、平気な顔してお茶なんか飲んでるけど……」
「気にしない方がいいですよ」
いやにあっさりしたジルドにミシェルは、ぽっかりと口を開けた。
「ねえ、お嬢さん。殿下はね、ここにこうやってきてくださるんですよ。わしらの、上の方々まで届かないような、どっちでもいいような声を聞いてくださるんです。たとえそのために来て下さってるのではなくても、わしらにとっては嬉しいことなんです」
****
「マスターのおじさんがいい人そうってことは確かね」
「でも、他の人たちも別に悪気あるわけじゃないから。皆いい人たちですよ」
「つまりは無神経ってことよね」
「機嫌悪いなあ。あ、わかった。原因、エイダさんでしょう!」
目抜き通りを先に行くジルドが自信ありげに振り返り、突き出してきた人差し指をミシェルはぱしりと手で弾く。
「しつこいわ!」
「殿下と仲いいんですよ。彼女」
「………」
「食べ物の好みも把握してるから、『いつものアレね』で注文済ましちゃったり」
「………」
「ついでにデートの約束までし……わわわわ、冗談! 冗談ですって」
慌てるよりも冷やかしの入り交じった声を上げて、ジルドはミシェルから離れた。ミシェルは振り上げた拳を下ろして、ぷいっと顔を背ける。仕草も拗ねた横顔もやけに幼く感じられて、ジルドはまた笑ってしまった。
「わかりやすいなあ、ミシェルさん」
「どうせ私は子どもよ」
ジルドの顔を睨みつけたミシェルは眉をひそめた。楽しげな笑いが不意に引っ込んで、緊張に表情が引き締まったのだ。彼の視線はミシェルの肩越しにその背後へと注がれている。
「何? あ」
視線を追って振り向くと、人だかりに割って入る兵士の姿があった。
本番に向けて行われていた芝居の練習は招かれざる客によって、突然打ち切られた。先頭を切って現れた壮年の男は主役を押しのけ、蓋のない棺の傍らに立った。
「御戯れが過ぎますな、リオン王子殿下」
リオンは半身を起こし、その鷲鼻を見上げる。
「……これはこれは、指揮官殿じゃあないですか。あなたのような人が自ら好んでこのような場所に来られるとは。てっきり室内で雑務に追われているころかと。それともよっぽど暇なんですかね?」
「偶然、噂を耳にしましてな。陛下や総横目殿の耳に入る前に、その真相を確かめに参ったのございます。事実でないことを願いながらね」
指揮官―タウィスタントは薄く笑った。言葉とは裏腹に表情に喜色を滲ませているのは、彼が半年前の継承者争いでロデリック派についていたことを示している。リオンを王位につかせようと謀反を起こさんとする者は今だ存在した。この度の件がそれを実証している。彼らには火種になりうるリオンが邪魔なのだ。最終的にはその存在を抹消したがっている。リオンの後を付きまとう影もいつその役目を負うことになるかわからない。
「それはまたご苦労なことで。だけど、事情が事情だから仕方なかったんだよ。手短に説明させてもらうと、オレがあの娘の足に怪我をさせた。代役なんてそうそう見つかるわけがない。だからオレが責任を取った。そういうわけさ」
「立場をご自覚なさいませ。事情はどうあれ、そのまま見過ごす訳にはいきませぬ。さて、どうしたものか……」
思案に暮れるタウィスタントの前にルーファスが進み出て、深々と頭を下げた。
「私がこの劇団を取り仕切っておりますルーファスです。知らぬこととはいえ、リオン殿下には大変失礼致しました」
「無知が引き起こした事態とはいえ、一国の王子を代役に仕立てるなど無礼千万極まりない。そこにいかなる理由があろうと処罰は免れえぬ。わかっておろうな?」
「ええ、仮令どのようなことになろうと処分はお受けする所存です」
タウィスタントは舞台袖で青ざめた顔の劇団員に顔を向けた。衣装の調節を行ってくれた娘の服の裾を掴んで震えていたリタが目を逸らす。
―― 劇団の殆どの者は今回のことに関係がない。
ハンスの言葉が正しければ、この娘はただ何も知らず、劇団長の指示に従っていただけだ。そして、他の劇団員達も。
「待てよ、オレが承諾したんだ。あの時にオレが引き受けると言わなければ済んだ話だろう」
「では、どうしろと? このままでは国民に示しがつきません」
「幸いまだ公演は始まっていない。噂はあくまで噂だった。それでいいだろう?」
全てを話してしまえばいい。代役を買って出た理由も。相手の目的を探るためだったと言えばいい。そうしたら、自分が処罰を受けることだってないのだから。だけど……。
―― それじゃあ、王位についたお兄様へ弟からのありがた〜いアドバイスをひとつ。時には見捨てることも必要だってことを忘れるな。
自分で言ってて自分では実行できていない。
馬鹿だよなあ。でも、オレは国王じゃないから。国を背負うものじゃないから、そんな馬鹿でいられる。
なあ、オレにとって、そして陛下にとって、結局どちらが良かったんだろうな。
「謹慎処分ですって! どうして!?」
事の顛末はジルドと親しい兵士が話してくれた。
―― ゼベリアの第2王子が城下の劇場で主役の娘を演じるらしい ――
匿名でそのような通告があったそうだ。通常なら治安維持事務局の監督指揮官であるタウィスタントが直接調査に出向くことはまずないのだが、態々その役を買って出たのには理由があった。
己らにとって邪魔な存在であるリオンの陥落あるいは失脚を狙ってのことである。
「通告が事実だったってこと?」
「そうみたいです」
「そんな……だけど何か理由がある筈よ。殿下は考えなしで行動するような方じゃないわ。その辺のことは?」
「さあ、俺達に知らされるのはせいぜいこのくらいのことですから……」
ミシェルは自分が知っている中で事情を聞き出せそうな人物の顔を次々に思い浮かべ、最終的に一番手っ取り早いのが当人に確かめることであるのに気がついた。
「殿下は部屋に?」
「そうですが……まさか」
「そのまさかよ!」
言うなり駆け出したミシェルの背中に向かって、ジルドが声を張り上げた。
「今なら、夕餉に間に合いますよ!!」
「!」
彼の言わんとすることを理解し、ミシェルは地下の厨房に足を向けた。配膳係の娘に頼み込んで、衣服を借り、食事をカートにのせて部屋まで運ぶ。扉の前で直立する兵士に呼び止められ、心臓が飛び跳ねた。
「何用だ」
「御食事をお持ちしました」
「よし、通れ」
猜疑の目を向けられているわけでもないのに、何故かそんな気がして背中が丸くなりかける。後ろめたいことは何も無いのに、真実と嘘が逆になったかのようだ。
「あっれえ、いつの間に担当替わったんだ?」
冗談混じりの声はとても謹慎中の人間が発するものとは思えない。閉じた本の上で頬杖をついて、くつくつ笑う。
「初めて見る顔だけど、名前は?」
「……謹慎の意味、解ってますか?」
「それで? わざわざこんなことしてまでやって来て、何かあったか?」
リオンは声も顔も冗談の延長線に乗せてはいるが、根はいたって真面目だ。
昨日みたいに感情的になってはいけない。伝えたいこと、訊きたいこと、頭の中で整理して、順を追って話さなければならない。
「……腹立たないんですか?」
「何で?」
返答はそっけないもので、自分の想い全てが空回りしているような、突き放された気分になる。だが、彼女の切り出し方自体が唐突なのだから無理もない。
「どうして謹慎しなくてはいけないんですか? どうせ今回のことだって別に事情があったんでしょう? 殿下はいつもそうです。本当のことは表に出さなくて。殿下がいつも損するんです」
「って言われても、オレの立場ってそういうもんだしね。仕方ないんじゃない?」
彼の口調は乾いていて、いっそ他人事のようだ。
「どうして? 何で、いつもどおりなんですか? こんな事態になっても……悪くないのに悪いように言われて、どうして平気な顔するんですか?」
リオンが何も言わないので、ミシェルは溢れ出す言葉を塞き止められなくなってしまった。腹が立つのが度を過ぎると、涙が滲む。
「マスターのおじさん、言ってました。殿下が時々疲れた顔するって。殿下にとってここは、そんなにしんどい思いをしてまで我慢しなきゃいけないところなんですか? そんなに我慢してまで、どうしてここにいるんですか? 城の中と城の外、どっちが本当の殿下なんですか?」
言ってしまってから、ミシェルは自ら手で口を塞いだ。
違う。そんなことを言いたかったんじゃない。
想いを言葉にするのは難しい。
「私、殿下にはいつも殿下のままでいてほしいんです。無理したり、嘘の顔したりしてほしくない」
ありのままの姿でいてほしい。それこそ傲慢な願いだと言われても。
「殿下があんまり無理ばかりするから、いつか壊れてしまうんじゃないかって……不安なんです」
***
王位継承者争いの時もそうだった。状況はロデリックよりもリオンを推す声の方が高く、平行線を辿っていれば、リオンがその座を得ていただろうと言われている。
そうしたら、こんな立場に立つこともなかった。嫌な思いだってすることはなかった。
どこから洩れたのか、出仕する貴族の中には、元々彼の隠された出生を知る者がいた。
『王族らしからぬ王族』
彼らは正当な血筋でないリオンを嘲ってそう呼んだ。そして継承者争いを機に表沙汰になってからは、誹謗する声が激化した。
慇懃無礼な態度で接してくる者もいた。
「私あの人たち嫌いです!」
偶々、場に居合わせたミシェルは吐き捨てるように言った。
「もう我慢できません! 陛下に訴えましょう。あの人たちを罰してもらうんです」
「うわ、ストップ! ちょっと待て!!」
リオンはミシェルの肩を掴んで引き止めた。
「腹立たないんですか!?」
「仕方ないんだろ。皆が皆好きで言ってるんじゃない。だって、あの人たちは陛下を守る為に必死なだけなんだから」
国王を守る者はああでなくてはいけない。
自分は国にとって邪魔な存在なのだから仕方が無い。
彼はそう言った。
***
ミシェルの眸から大粒の涙が零れ落ちた。いやあ、こんなところ父親(フェルディナント)に見られたらオレ殴られちゃう。なんて、こんな時でも冗談を欠かさず、服の袖で頬を拭ってやる。
「殿下はいつも相手のことばかりです。傍で見てる私の方が腹立つくらい」
自分に悪意を向ける人を庇う必要なんてあるの?
そんなに一生懸命する必要がどこにあるの?
気持ちを蔑ろにしなきゃいけないような場所なんて、捨ててしまえばいいのに。
「う〜ん、実はそうでもないけどね……ほら、オレって結構したいようにしてるし」
「嘘です。だって今回だってこんな不条理なこと、何とも思わないんですか」
この人は特別な人だ。
どうでもいい話や愚痴を聞くだけで、すごく嬉しいって思ってもらえるような人だ。
だけど、この人だって他の人と変わらない。
特別だけど特別じゃない。特別にできているわけじゃない。
嬉しいことは嬉しいし、悲しいことは悲しいって思う。そんな普通の人なのだ。
だったら、どうも思わないわけがない。
本当は悔しい?
悲しい?
どうして、何にも感じないふりするの?
どうして……
ミシェルは俯き、そしておずおずと顔を上げた。
「……そんなに、意地張らなくたっていいじゃないですか」
リオンは驚いて目を見開き、しばらくしてから噴き出した。
「当たりだ、ミシェル」
「?」
「オレはやっぱりオレのやりたいようにやってるだけってコト。ここにいるのも、平気な顔してるのも別に無理をしてるわけじゃない」
心底可笑しそうに笑いながら、リオンは言う。
「そうだな、意地っての当たってる。だって、嫌がらせされて心の中そのまんまの反応したり、逃げ出したりしたらそれこそ相手の思うツボじゃないか。やっぱりそういうのシャクだからさ。結局オレはオレのことしか考えてなかったってわけ。つまりはここにいることも、平気な顔することも全部オレの意志なんだ。納得?」
「ば、馬鹿みたい……」
あまりに子ども染みた彼の説明につい本音が出てしまった。
「そ、オレ馬鹿なんだよ」
「だから、そこで納得しないで怒って下さいって言ってるんです!」
「それこそ相手の思うツボってもんさ」
リオンは人差し指をちちちと左右に振って、続けた。
「オレはね、我慢ばっかりしてられる程できた人間じゃない。オレにとってこの場所は言わば舞台の上。大丈夫、演技しなくていい場所、ちゃんと知ってるからオレはオレでいられる。演技途中でプレッシャーに耐え切れなくなって倒れちゃうほど、弱くないつもりだけど?」
舞台から降りれば役者もただの人。だけど、舞台上では欠片も日常を持ち込まない。
相手を納得させる言い回しも、ハッタリのきかせ方も絶妙だ。
演技の最中の役者には、何を言っても無駄なこと。だったら、こちらもその演技にのってやるのが礼儀というものである。
ミシェルの肩から力が抜ける。固かった表情もとうとう崩れてしまった。
「あの店は殿下の意地の範疇じゃないってことですか?」
「そういうこと。なんなら、今度は一緒に行ってみる?」
「だったら毒見係として御供させて頂きます」
ミシェルはカートから食事を全て降ろして、踵を返した。
「……カタイなあ。でも丁度いいや。エイダにミシェルのこと話したら興味持ってたから。あれ? それとももう会ったんだっけ?」
思い出したように呟かれた名に真っ先に反応して、ミシェルは顔をしかめた。胸の奥が疼く。
「殿下!」
どうしても今すぐ鬱憤を晴らしたい衝動に駆られた。
「私、殿下の味方ですから。舞台降りたときには、遠慮なく愚痴ってくださいね」
返事も待たずに部屋を出ていく。
冷めた食事と共に取り残されたリオンはぼんやり呟いた。
「なんだかなあ。ああやって気に掛けられちゃうってのは、まだまだ修行が足りないってことかな」
だが人に想ってもらえるというのは、少なくとも悪い気はしない。
この話のリオンの女装姿を、
絶対ハッピーエンドのかいり様が描いて下さいました!
悶絶ものですよ、是非是非ご覧あれ。
コチラ
≪閉じる≫